旅をさせられているので可愛い子

半分以上フィクションのエッセイです。

クレーム(ショートショート)

もしもし?ちょっと苦情なんだけどさ。

 

あんたんところで買った卵?うん、そうあんたんところの商品。

「キセキのたまご」ね。12個入り。税抜き2100円。

 

聞こえてる?・・・うん、まあ初めてなわけよ、ネット通販で卵買うのが。ふつうスーパーでしか買わんし。

 

でもさ、テレビであんたんとこの商品が紹介されてさ、たまにはいいかなって思って

買ったわけさ。

 

わかる?12個入りで2100円って卵としては相当じゃん?たまの

贅沢ってわけ。そりゃ届くまで楽しみにしてたわけでさ。

 

でも届いてびっくりしたよ。卵かけご飯にしようと思って割ろうとしたら違和感。

ひなが中にいるわけ。それも一個だけじゃない。12個全部。

 

俺はいきなり鳥12匹の飼い主にされたわけ。あんたらの商品のせいで。ね。

おい聞いてんのかよ?

 

でよ、代金返してもらえるんかって話も大事なんだけどよ。俺には一個確認したい

ことがあんのよ。

 

 

これ何の卵なん?

 

 

・・・少なくとも鶏じゃねえよな。鶏って最初はひよこだもんな。あとこの羽は何色って言ったらいいんだ?目に焼き付く色っていうかさぁ・・・。

 

あともう鳴き声が耐えられないんだよ。あんたの声もな、正直全然聞こえてこないんだよ。もう一日中絶叫絶叫。

 

 

 

・・・いや、もう部屋の外には出れんのよ。こいつら嚙む力強すぎて。

 

 

助けてくれ。

 

 

 

 

ドイツ語の授業の話(怪談)

毎年この時期になると思い出すことがありましてね。

 

 

 

今から15年位前の話ですよ。大学2年の時。金曜6限という鬼のような

時間割のドイツ語の授業中の話です。

 

季節は冬でしたから、校舎の外は完全な闇。そしてやる気のない私が陣取る最後方の

席は暖房の恩恵と隙間風がせめぎ合う場所でした。

 

単位が取れればよい授業です。出席点の割合が高くても私のようなやる気のない

学生でも単位を取れる。そんな授業でした。

 

その日も私は、教員の話を右から左へ聞き流していました。真剣に聞いていたってわかりません。英語もろくにできない人間に女性名詞がどうのとか格変化がどうのとか、ついていけるはずもありませんよね。

 

だから、私ははじめ、気づかなかったんです。

 

教室が静まり返っていました。ドイツ語の教師は、妙齢の女性で、初学者にもわかりやすい明瞭な発音で授業をおこなってくれていました。ただ、私がふと顔を上げると、その教員は黙りこくっていました。

 

黙っていただけではありません。私のことを見ていました。あっ、この授業に対する無気力な態度、姿勢に対してこの教師は怒りをあらわしているのだと感じました。

 

彼女は私をじっと見ていました。じっと見ているように見えました。

 

実際には、彼女は私を見ていませんでした。私のすぐ右横あたりを見つめていました。

 

教室には異様な雰囲気が漂っていました。誰もが教師の異変に気付いていたのです。教室にいるわずか十数名の学生たちは、彼女が何かを見ていることに気づいていました。気づいていながら、何を見つめているのかを誰も確かめようとしませんでした。いや、確かめることができなかったと述べる方が正確でしょう。

 

彼女の瞳は、困惑と恐怖でいっぱいになっていたと思います。

 

午後6時。6限終了のチャイムが鳴りました。教師はいつも通り次回までの予習範囲を伝え、ドイツ語の別れの挨拶を述べ教室を出ていきました。他の学生たちも帰り支度を始めました。バイトへ向かう者、帰宅する者、様々です。

 

私もその日は帰宅したと思います。

 

 

 

あの授業から15年も経ってしまいました。別段それ以降何か特別なことがあったというわけではありません。

 

 

でも時々あるんです。私と喋っている人間が私を見ているようで私を見ていないときが。その時、決まって彼らは私の右側あたりを見ています。そこには、何もないはずなんですが。

 

 

これからの人生も、私はこれと付き合っていかなくてはならないのでしょうか。最近小学校に入学した娘が言うんです。クラスのお友達に、にらまれている気がするって。

 

 

 

それはたぶん、にらんでるわけではないんでしょうけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

*この話はフィクションです。

 

 

 

元気がない(エッセイ)

元気がない。ここ十年ほどは鬱屈した考えが脳を支配するメランコリックな状態が基本である。

 

 

こんな私も「エネルギッシュですね」などと言われることがあるが、そんなことはない。私は演技が上手いだけだ。

 

 

私は元気に働く。同僚の中でも若くエネルギーに満ちているように見える。ただそれは無理をしているだけである。仕事がひと段落したら、自分のデスクで死を想う。

 

 

元気に働くのは、きっと仕事が好きだから。そして生きていくことが好きだから。死ぬことを考えずに済むから。死にたいほどに苦しいが、死はその気持ちを救済してはくれない。

 

 

私は演技が上手い。あと笑顔を作るのが上手い。それでいいのである。それが生きるということである。

塹壕

本は読むより買うのが好きである。

 

 

そして本は買うよりも本棚にしまっておく方が好きである。

 

 

私の趣味は積読である。もう一体何を積読しているかもわからぬ。積読の事実を忘れ、同じ本を買ってしまうこともある。

 

 

積読とは無限の可能性だと思ってきた。私は、その積読から、自分の好きなタイミングで書物との旅に出ることができる。よく、「本当に読むんですか?」と聞かれることがあるが、10年かけて読み始めた本もあるので、「おそらく」と答えるしかない。

 

 

 

 

しかし、私はこの本を積読した10年の間に、どれほど変われたのだろう。本を購入した10年前の自分。高校生だった自分は、やっと読み始めた私に何と言うだろうか。

 

 

私は、ただ多くの本を所有しているだけの、何もない27歳でしかないのかもしれない。

 

 

遠い国で戦争が起こっている。なぜそんなことになったのだろうか分からない。私はこの、積読本の陰の塹壕で、ただ死を待っているだけなのかもしれぬ。

 

 

 

 

 

 

*このエッセイは半分以上が創作です。